四角いメロンについて

私にとって、論理性とは絶対的で、どんな難問も計算可能だと考えてきた。
もし、解けなければ自分の能力不足と考えていた。


しかし、実際には色々な問題の解決方法に、人間の感情が絡んでくると、
ジレンマに陥って答えが出ない事が多い。

私は、そういう問題にぶつかるたびに、勉強不足と考えて、
色々調べたり考えたりで答えを探してきたが、
今となっては、それが大いなる間違いである事が分かる。


一般的に脳というものは、論理的で理性的な臓器と考えられがちだが、
脳も他の臓器と変わらず、ましてや野生の動物とも同じで、
かなりアナログに出来ているようだ。


外から入ってくる刺激に対して、ダイレクトに関連する部分が活性化する。

その活性化した部分の組み合わせから、
答えが導き出されるのはコンピューター的だけど、
その途中には、感情とか、体調とか、好き嫌いとか…ありとあらゆる
人間くさい要素がダイレクトに入ってくる。


それは、
コンピューターが適切でない情報を切り捨てる事が出来るのとは、
まるで正反対な事をしている。


その自分自身と直結した部分の上に、意識という自覚している部分を乗っけて、
その狭い自覚という範囲の中で、
より最適な答えを導き出せるように、訓練して作り上げたのが、
理性であり、それを取り仕切るルールが論理性なのだと分かる。


それはまるで、放って置いたら丸くなるメロンを、
四角い箱に入れて、四角く育てる様な物ではないだろうか?


そして、理性の箱は脆く、訓練しても すぐにはみ出してしまうのだ。