執着とこだわりの違い
執着はいけない、こだわりは良い、ととらえる事が多い。
しかし、執着とこだわりの違いはなんだろうと考えた。
執着は、
「自分で処理する能力が無いものにたいしてのこだわり」
「実現する力の無いことにとらわれること」
こだわりは、
「何かに対する強い思い入れ」というイメージがある。
もしかすると執着もこだわりの一部で、良い悪いを決めるのは、
こだわり方、こだわる内容次第なのではないかと思う。
だからまあ、良いこだわりと悪いこだわりの狭間で、
揺れ動きながら、葛藤して、苦悩して生きるのが人生って事だろうか。
PHPのテスト環境が出来た
PHP自体の中身は簡単だった。
クラスとか無理して使おうとしなければ、すぐにいじり始められる。
HTMLをそのまま使ったような、簡単なストーリーゲームのエンジンを作ってみようかと思う。
まあ、いつ完成するやらw
PHPインストール
数年前は、PHPのインストールは難しいという話を聞いた。
それ以来まるで気にしていなかったのだけど、ふと気がついたらずいぶん広まっていて、
少し触ってみたくなった。
インストール方法も調べてみると、ごく簡単で、
Apache2の設定ファイル*1を数行編集するだけで使えるようになった。
少しいじって動くものが出来たら、サイトの方にアップしたいと思う。
話はがらっと変わるけど、
最近仕事をしていて思うのは、
以下のような、その人ごとのワークスタイルがあるんじゃないだろうかという事。
1.しっかりと重要な仕事をこなせるタイプ
2.そういうのは無理だけど、簡単な仕事を臨機応変にこなすタイプ
3.どちらも出来ないけど、真面目にコツコツこなすタイプ
しかも、どれか一つが100%というのではなく、
それぞれのスタイルの組み合わせ比率が、
その人の仕事の性質を決めているのではないかと思う。
1が強いひとは、何をさせても手堅く、判断を誤ることはまず無いけど、
雑多な仕事をさせると遅かったり、ケアレスミスが目立つ。
2が強いひとは、複数の単純作業を猛烈なスピードでこなすけど、
肝心な判断でとんでもない間違いを犯しやすい。
3が強いひとは、優柔不断でスピードも早くは無いが、
皆が飽々してしまうような地道な作業を黙々と続ける事が得意。
そんな感じだとすると、もちろんリーダーに向いている人は1、
ライン作業は3、接客や営業は2のタイプが強いのではないかと思う。
だからといって、ひとつのタイプだけで職場が回ることは無いので、
色々な縁の下の力持ちが居るわけだが…
自分のスタイルが目標にしているスタイルでないのなら、
どれくらい努力しないと成れないのか分析して、
自己改革か、長所の追求かを選んだ方が良いのかもしれない。
長らく転職活動しながら働いているので、こんな事を考えた。
今日はプログラムの話じゃないよ
そろそろカウントダウンで人生を考える事が出来る年齢になり、
色々な事が俯瞰して見えるようになってきたように思う。
政治も、外交も、ニュースは一方からの見方を押し付けてくるし、
それが視聴率を稼ぐ唯一の方法なのだろうから、
見てる側がよく考えたいところだ。
それに、まだ子供はいないのだけど、親の姿勢は子供に伝染するしね。
恐ろしい…
さて、一般的な話はこれくらいにして、
自分の現状はというと…ソフト系の技術者を目指していたつもりが、
気がついたらハードへの道しか残ってなかった。
どこでどう間違ったのか、もっと前から俯瞰できる目があれば、
と悔しい思いをしております。
まあでも、仕事は世に必要とされる事をやれば良いんだしね。
ソフトは趣味で頑張りますかというのが、俯瞰した視点の考え。
やりたいとか、なりたいという気持ちを否定するつもりはないけど、
それに執着すると、結局しなくて良い苦労を自分から背負い込む事になるのでね。
それを考えてどっちをとるのか決めるのも良いかなぁと思いました。
まあ、久しぶりなのとこの期間にプログラムらしい事が出来ていないので、
こんな話になってしまいました。
C++って…
最近ふとしたきっかけで、JAVAをいじり始めた。
基本的に必要になりそうな機能は、フレームワークに入っており、
使い方さえ覚えれば、サクサクプログラムできる。
そしてVC++をいじっていた頃と比較すると、
VC++では、何もかも手作りしなければならない、わずらわしさがあった。
特に無料のExplessEditionを使っているので、MFCすら入っていない。
『なーんだ。C++はライブラリを使う宿命の言語なのか』
というのが結論だった。
しかし、そうしてフリーのライブラリーを探してみると、
それが使いやすいのかどうかの情報が無い。
全部自分で試してたら、そっちの方が時間食うなと思った。
まあ大変な思いして、快適で無料のライブラリーなんて作らないか…
「DXライブラリー、SDL作者様ありがとう」と感謝して使わなくてはな。
さて、言語の話はこれくらいにして、
和田 秀樹の『頭のいい人のしくみ』という本を読んでみた。
漠然と考えている「頭のいい人」を論理的に分析して、
それに近づく手立てを打つというのは、正攻法の気がした。
EQ、失敗学、そして和田秀樹…
全てに共通するのは、そのときに必要な事を分析して、
論理的かつ適切に対応する事が、自分を幸せにする…
という事なのではないだろうか。
頭が疲れてるな。
変な事を書いていたらスミマセン… 明日直します。*2
では、おやすみなさい。。。
経済学の矛盾
以前、MIXIで経済学関係のフォーラムに参加した事があるが、
内容は学問の為の学問で、現実社会では疑問を感じるような発言ばかりであった。
そこで、具体的な事例に即して質問すると、まずは話をはぐらかす。
経済学は分析するもので、現実をどうこうする為の物ではないとか…
じゃあ何で政府や経済に口を挟むのか、疑問を感じた。
その後もやりとりは続き、色々な矛盾に突き当たった。
そのたびにこっちは賢くなり、
経済学を学ぶ人たちの発言を盾にとって質問を続けたところ、
世の中をどうすべきかを考えるのは、「社会学で経済学は自然科学」
なんだそうな…
結果分かった事は、
「世の中の一部分を切り出して、数学を使って効率よい方法を探るのが経済学で、
その影響で変化したものを考えたり、人の幸福を考えるのは経済学ではない」
という事だった。
なんだか、僕が聞いていた経済学は、
多変量解析やら、複雑系を使って考えるえらい高度な物のイメージだったけど、
ずいぶん安っぽく聞こえた。
もしかしたら、
たまたま、そこで話した経済学を学ぶ人たちが悪かったのかもしれないと思い、
ひとまず遠ざかった。
それから大分経ち、こんな記事を見つけた。
"富裕層のウソとデマにだまされるなお金持ちは決して下流に同情しない"
これを読んでいると、やはり経済学が扱うのは、狭い、限定的な範囲での予測と、
それをいかに「自分に」都合よく利用するかの話に聞こえてくる。
経済は相互に影響し有って、相乗効果を生みながら変化する物だと思う。
よく血液にたとえられるけど、
一部の特権を持つ人間が、いかに効率よく一般市民に「献血」させるか
なんていう学問は、僕なら要らない。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
話は変わるけど、上の記事を書いた作者は結構な量の著書があるようだ。
面白そうなので、これから読んでみようと思う。
*1:今回の記事に関係するのは、この本らしい「富裕層が日本をダメにした! 「金持ちの嘘」に騙されるな (宝島社新書) (新書)」